住職より
地域とともに歩むお寺として
明徳寺は、檀家の皆さまはもちろん、お寺に馴染みのない方や若い世代にも、安心して足を運んでいただける場所でありたいと考えています。参拝や法事・供養について、分からないことがあれば気兼ねなくお尋ねください。
明徳寺 第二十六世 合掌


長野県長野市松代町豊栄
明徳元年(一三九〇)創建と伝わる禅寺です。
松代の地に息づく明徳寺の歴史と物語
明徳元年(一三九〇)創建と伝わる明徳寺には、江戸中期の本堂と山門、土地に根づいた伝承、松代にゆかりのある人々の記録が残されています。
住職より
明徳寺は、檀家の皆さまはもちろん、お寺に馴染みのない方や若い世代にも、安心して足を運んでいただける場所でありたいと考えています。参拝や法事・供養について、分からないことがあれば気兼ねなくお尋ねください。
明徳寺 第二十六世 合掌
明徳寺の物語
酒呑み弥勒の民話、明徳寺を再興したと伝わる高坂弾正、松代に生まれた栗林忠道、境内の池に残るかえる合戦。四つの物語を、写真や記録とともにたどります。
法事・供養のご案内
年忌法要や葬儀、ご先祖や大切な方の供養について、初めての方にも分かりやすくご案内します。内容や日程はそれぞれ異なりますので、詳しくは明徳寺へ直接ご相談ください。
ご命日や年忌に合わせた法要について、ご家族の状況を伺いながらご案内します。
葬儀の流れや事前に備えておきたいことなど、分からない段階からご相談いただけます。
ご先祖や大切な方への思いを大切にしながら、それぞれのご事情に沿ってお話を伺います。
歴史 / 松代と明徳寺
明徳寺には、戦国時代の高坂昌信とのつながりや、松代出身の栗林忠道の墓碑など、地域の歴史を伝える記録が残されています。

武田信玄の重臣で海津城代を務めた高坂昌信(春日虎綱)は明徳寺に深く帰依し、天文年間に諸堂を修理・再建したと伝わります。境内には墓所が残されています。
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建物と古文書
本堂と山門はともに一七一三年の建立。江戸中期の曹洞宗寺院建築を今に伝え、二〇二二年に国の登録有形文化財となりました。また、寺領安堵状や禁制、書状など七通からなる「明徳寺文書」は、長野市指定有形文化財です。
僧・明徳が建立したと伝わる
高坂昌信の帰依を受け諸堂を修理・再建
現在の本堂と山門を建立
ヒキガエル産卵池が長野市天然記念物に
明徳寺文書が長野市指定有形文化財に
本堂・山門が国登録有形文化財に

季節の明徳寺
境内の四季、行事、日々の活動は、公式Instagramでお知らせしています。
本堂や山門、境内の四季を写真でご覧いただけます。




境内散策
この額は、明徳寺の始まりから昭和までの歩みを一枚にまとめた「明徳寺史」です。鎌倉時代にさかのぼるとする伝承、高坂昌信による再興、江戸時代の朱印地と本堂再建、境内が学校として使われた時代、戦後の修理などが記されています。後半では、酒呑み弥勒、高坂昌信や栗林忠道らの墓、かえる合戦など、境内に残る文化と伝承も紹介されています。
明徳寺は、鎌倉時代に開かれた霊場で、初めは律宗の僧が修行していたと伝えられています。そのころ、鎌倉幕府の執権・北条時頼が参詣し、その姪にあたる御安姫もこの寺を信仰しました。御安姫は松代の新町に住み、そのことから一帯が「御安町」と呼ばれた、と額には記されています。また、近隣の神社に残る古い棟札も、北信地方の古い歴史を伝える資料として紹介されています。
明徳寺の本尊は、鎌倉時代に作られた拈華微笑の薬師如来です。一輪の蓮(はす)の花を指先でつまんで、静かに見せている姿の薬師如来として伝わっています。
戦国時代の天文年間、初代海津城主とされる高坂弾正忠昌信が、衰えていた明徳寺を再興する中心人物となりました。そして玉山春洞大和尚を招き、曹洞宗寺院としての開山としました。額では、これを明徳寺が改めて整えられた大きな節目として記しています。
慶長十年(一六〇五)には、寺の境内で乱暴や勝手な伐採などを禁じる「禁制札」が与えられました。その後、徳川幕府から二十石の朱印地も認められました。これは、幕府が寺領を公的に保証したことを意味します。
正徳二年(一七一二)四月、伽藍が火災で焼失しました。翌年の正徳三年(一七一三)九月二十六日に、現在の本堂が再建されました。額には、再建に多津七之丞ほか七人が携わったと記されています。
明治時代には、明徳寺の境内に豊栄小学校が置かれ、明治二十四年(一八九一)まで子どもたちが学びました。寺が地域の教育を支える場所でもあったことが分かります。
第二次世界大戦後の農地改革を受け、将来、檀家に過大な負担をかけないように考え、境内にあった杉などの木を伐採して整備を進めました。昭和二十七年(一九五二)には、寺の台所や生活の場となる大庫裡を新築しました。
昭和三十三年(一九五八)には護法会を結成し、檀家の奉仕によって境内の整備を進めました。昭和三十八年(一九六三)五月からは、本堂の瓦屋根修理、鐘楼門の解体復元、弥勒堂の瓦屋根修理などを行い、同年十二月に工事を終えました。
境内には多くの史跡があります。信濃の伝説で知られる弥勒菩薩堂、高坂昌信と忠臣・小池主計の墓、日本の武芸史に名を残す滝沢武太夫と井口権九郎の墓、硫黄島守備隊を指揮した栗林忠道の墓が挙げられています。また、第一法規出版会社が発足当初の事務所を明徳寺に置いたことも記されています。古くから続く「かえる合戦」の珍しい習俗は、全国にも知られていると結んでいます。
仏さまを新たに安置する落慶法要を行うにあたり、明徳寺の歴史のあらましを記し、多くの人の参考にするため、この文章を残したとあります。末尾には、昭和三十九年(一九六四)四月五日、明徳寺第二十三代住職が記したことが署名されています。
上信越自動車道「長野IC」から車で約15分
JR長野駅からバスで松代へ。「松代駅」停留所からタクシーで約10分
駐車場あり
墓所や本堂の周辺では静かにお参りください。ヒキガエルの産卵期は、池へ立ち入らないようお願いいたします。